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zoom RSS ニューカレドニア物語 4

<<   作成日時 : 2005/07/07 14:27   >>

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外国に出かけるのが、外貨不足で簡単に渡航できない時代に、駆け出しの若造が出かけられると言うことで、うらやましがられた。

実は、母のことなのだが、50才台の若さでガンと診断されたのが、私の出発の2週間前で、急遽、国立病院に入院、即手術が必要と言うことだった。一ヶ月前には、デパートに行き夏服を2着買ってくれた。会社からは渡航支度金として3万円支給された。この金額は、大学での初任給の3か月分にあたり、今風に言えば60万円ぐらいだろう。背広の2着分も3万円だった。いざと言うときのために僅かな金額を少しずつ、貯めていたのだろう。ただ、感謝、感謝だった。

会社からいただいた金額でキャノンの電子アイ付カメラを買い、得意になった。レンズの周囲に電子アイが着いていて、つまり、自動的に距離やシャッタースピード、絞りを瞬時に読み取るというすぐれもので、注文して入手するまでに1ヶ月待たねばならなかった。今ではカメラに装着されていて、当たり前なのだが。機種は「キャノネット」とよばれた。

このカメラを担ぎ新宿御苑で父母の写真を撮り、ニューカレドニアに持っていこうと思っていた。

母のガンは上顎ガンで、手術で顔を切り、上の歯をハンマーでたたき、ペンチで抜き、顎の患部を削ると言う残酷・非道とも思われる6時間の大手術だった。命は取り留めたものの、手術室から出てきた母は、白い布で覆われていた。呼吸はのどに穴を開けて空気を送る。声をかけても声が出ず、空に字を書くだけだ。

息子の海外渡航のために、病院の玄関まで両脇を看護婦さんに支えられて出てきた。車に乗り、別れを告げると、どこで用意したのか分からないのだが、赤い紙テープをだした。出発。テープは20mほどでなくなった。後ろ窓から見ると、やっと立っている母がぼっと見える。涙が止まらなかった。
これが今生の別れかと思った。

船のエンジントラブルで、出帆が一日遅れたので、家に戻ることになった。まず病院に戻り、「無事に出かけた」と、母に語るのが病院の廊下で聞こえた。私は、母に逢いたかったが、じっと我慢して、立っていた。すると、母は、「まだ近くに息子がいるような気がする」と、空に字を書いたのだ。

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東京港を出帆して、食事は船長さんや機関長、事務長などオフィサーと一緒だった。その船長さんは太平洋戦争当時、海軍の軍人で艦長だった。硫黄島やサイパン島の横を過ぎる頃、英霊に向かって敬礼した。あるいはひょっとすると、戦友がこの海域で戦死したのかなと思った。

ブリッジに立ち、双眼鏡で大海原をのぞく姿は、海の男で格好良かった。海図を広げて、今日はこの航路を行くと鉛筆で線を引いた。4時間ごとに天測観測をして、現在地の確認をする。

(続)

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